書きたくなったら書く

春愁

寂しさや哀しさに直面する度、私の大切な人達はこんな感情に襲われたりしないのだろうかと感じます。

人とご飯を食べている時こそ寂しくなる。この人は私より先にこの世界からいなくなってしまうのだろうか。その時私は記憶の美しさに押し潰されて苦しくて生きていける気がしない。 私が先に死んでこの人は最期まで傍にいてくれるのだろうか。私が死んだ時、この人は私のために泣いてしまうのだろうか。

大切な人にほど私の事は記憶から消していて欲しいです。泣いて欲しくないです。「死んだのか。そっか」で終わって欲しいです。私が死んだ時にこそ嫌な記憶で溢れてきて欲しいです。

美味しいご飯、一緒に食べなかったことにして欲しいです。

楽しい時にこそ寂しさや不安に襲われて哀しくなります。寂しさは寒がりだから私の心が温まっている時こそ今だ今だと集まってきます。悔しいほどに。

「始まり」に、ついてくるのはいつも「終わり」で。この事を思う度に全てが始まらなければと思います。

いずれ、必ず失うのに大切なものを増やす姿勢が美しく見える時と、それを無駄に感じ、その愚かさから疎遠したい時の自分がいます。

終止符は「美しいままで」と決断した時の自分で打ちたいものです。

美しく大切なものを自ら汚して記憶から離してしまう癖に名前をつけてください。溶かして飛ばして失う時に愚かなものほど美しく香ります。

ひとりでいる時ほど寂しくないです。 私の放つ言葉で人を傷つけていないから。

ひとりでいる時は誰とも記憶を共有していないので気が楽です。ひとりでいると私との時間が美しく残っていないと思えるので気が楽です。 ひとりでいると皆が毎秒薄ら薄らと忘れていっていると思うと心が軽くなるのです。

こうして私は愚かな形のまま生きていて、どうにも出来なくて未完成の美しさに陶酔されていきます。

それでも雪解けは寂しいです。

寂しさに漬け込む優しさみたいで。 ずるく感じるのだと思います。

誰がなんと言おうと私は春が、苦手です。