グラデーションなラストを

ココだけの話

眠りにつく3分前によく不安になります。

ウトウトしながら、もう二度と大切な人達に会えないじゃないかと想像すると怖くて震える。

昨晩もそんなこと考えて、気づいたら泣いていて、そして気づいたらまた朝になっていた。

朝はしっかり来るから、安心する。 時々来ないでと願いながらも何だかんだ安心する 無条件で「それでも大丈夫だよ」の陽で起きる。

23歳なのに。もう大人なのに。 こんな事の繰り返しです

私たち、初めての慣れない世界なのに、良く生活していると思います。

何かを失う怖さは当たり前なのだと思いたい。

昔から、少し変わっていたので電車が通過するだけで「今日のこの時間の、この電車は今しかない。もう二度と出会えないし明日のこの時間は私もココにはいないんだ」と感じただけでなんだか不安になりました。

今が続けば良いのに。人生に慣れることが出来るのに。

本も映画もドラマも最後まで見届ける事が苦手です。

本を読む人間だと思われているかもしれないですが、所持している本の4分の3は読み切れていません。基本、ドラマも最終回まで見ません。最終話は盛り上がっているので観ますが。映画もラストシーンの手前で中断します。もしくは飽きて周りの反応を楽しんでいます。

理由は終わるのが怖いから。あと、物語だと自分でラストシーンを想像してしまうから、壊したくないから。もうひとつはラストに興味が無くどうでも良くなってしまうから。

人と出会った時には、既に出会いの終わり方を想像します。この人とはどのように縁が切れるのだろうかと。

終わりを作るのは良くない癖です。

「この人を最後の推しにします!この人を嫌いになって最後にペン卒したい!」と話した時に「君の最後は死ぬまでって事じゃないんだね。ずっと推すから最後じゃなくて嫌いになって最後なんだね」と言われてハッとした事がありました。

私が求める最後って結局1人になることなのか?

「最後」は人それぞれで良いと思うけれど、個人的には幸せが手元に残る最後がどの場面でもいいのだろうなと思います。

話は戻りますが、大切な人達と二度と会えなくなるかもしれないと毎晩泣くこの私が、最後に求めるものが本当に1人でいることなのでしょうか。

大切な人が独りになってしまう方が怖く感じるときもあります。

人は死ぬ時。又は、死んでしまおうと思い立った時に、大切な人を残す苦しみの方が大きいのではないかと思います。大切な人を孤独にしてしまう恐怖と後悔は想像しただけでも辛いでしょう。

ただこのように、世をされる人はきっと愛されてきた人だけです。幸せ者なのです。

ひとりにしたくないと思える人が存在した世界は大層温かいものだったでしょう。

人は皆、最後がある生き物なので私は毎晩泣くほど離れたら不安になる大切な人達と日々を過ごせているのだと思い、今日も過ごしています。

私と同じように大切な人と離れることを想像しただけで怖くて泣けてくる人にも、安心して欲しいです。それだけ今、人の温かさと、独りにしたくないと思える程大切な人達をこの世界で見つけ、出会えたという事に胸を張って欲しいです。

いい加減、私はこの読み切っていない本たちを本棚に戻さないといけません。

まだお昼ですね。 今日も良い一日を過ごしてね

嘘とおやすみと優しさと

「いつになったら本心で会話してくれるんですか」

その言葉と共に目が覚めた。変な夢を見た。

この通り最近はあまり目覚めが良くない夢を見ることが多い。

この夢の前は電車に乗っていると人身事故に巻き込まれ、その後津波が襲って来て部屋が水で溢れかえる夢を見た。

その前日は人を殺して震える夢

まだ他にも変な夢を見た記憶があるが鮮明に思い出せないので思い出さないままでいたい。

調子が狂い始めているのかもしれない

だいたいこんな夢を見た日の朝は目が覚めた瞬間に胸の奥がざわざわする。胸の真ん中の奥深く届かない所で小さな何かが私の中を締め付けるのだ。 血の出ない長い針で胸を刺されたまま一点を掻き乱されるよう。見えない所の奥深くまで刺される感覚。 つーーーっと指先の力も足の感覚も全て気持ち悪くなる程胸に集中する。体を巡る血が体温より遥か冷たくなっていく感覚。今日死ぬかもしれないと思う。

そんな日はもちろん外へ出たくないのだが、どうにか動かない体を脳で扉の外へ連れていく。

これは私が大人になってから身についた能力。能力というまでもないか。学習したのだ。

重い体と心を外へ。

引越して来てから未だ慣れない階段を一段一段踏み外さないように血の気のない足でゆっくり下る。

朝の歯磨き程だるく、スッキリするものは無い。 洗顔とスキンケアは世界の誰よりも適当

アイスコーヒーさえあればあとは大丈夫

冷たい血も、アイスコーヒーのひんやりとした冷たさを感じれば1日私の心と体は持つのだ。

ちなみに冬でもアイスコーヒーが好きです。先日夏なのにホットコーヒーにする?と聞かれて吹き出した件があったのだが未だジョークだったのか分からないままでいる。良い人のジョーク程触れにくいものは無いので気をつけて欲しいものである。 そしてどうせ私はアイスコーヒーしか選ばないのだからいいのだ。

ちなみに優しい人というのはこの世に存在するのだろうか。

人から感じたものを勝手に優しさと決めつけてしまう事が時々怖い時がある。基本、人に対して優しいねと思う時は私自身にとって都合が良いと感じた時だ。例えば苺のショートケーキを私に譲ってくれた人に私は優しさを感じて正解なのだろうか。 私にとって都合の良い行動を起こした人に対して「優しいね」と声を掛けた所で本当にその人は優しさでやったのだろうか?我慢して苺を譲ってくれたのではないか。無意識に私は相手の苺を睨みつけていたのではないか。 そう全て不安になっては眠れない日々を過ごすのが日課なのだが、世の中はそんなに深いところまで気にしないらしい。自分が優しさだと思えば優しさなのだときっとみんな言うだろう。そう言われた相手もそれで嬉しくなるのなら良いのだろうな。 私も何も考えないで全て有難く可愛く受け取れる人間になりたいものだ。

話はズレてしまったが、今日はどんな夢を見るだろうか。(書くのめんどくなったので強制終了します)

出来ることなら夢など見ずにゆっくり眠りたいものだ。

全てはこの夏の暑さのせいだと思います。 夕方18時のおやすみなさいは嘘では無いです

おやすみなさい

今夜は雨が降るらしい

今夜は雨が降るらしい

雨が降るので早めに帰ってきた。 天気に関しては雨でも晴れでも何でもいい。 こんなこと言ったらバチが当たるだろうか。

傘は透明が好きです

雨も景色も空も見えるから ただ折りたたみが楽なので持っているのは黒い折り畳み傘

人は求めるものと実際手に入れるものとでは結構な差が見える。そんなもんだよな。

そんなもんだよなで終えることができるから良い

何度も言うが私は人よりも欲がない人間なのだ 相手が私の都合通りに動かなくたって何でもいい 相手がやらないなら私がやればいいむしろそれでいい

期待なんてした方が負け

あとどれ位生きるのだろうと考えるよりも 死ぬまであと何日と狭められた方が楽かもしれない

私の事だからどうせ死ぬまであと30000日と言われても「今日は何もしない日」を作るのだ

ここで気づく。私たち本当に死ぬまであと何日なのだと。永遠なんて無いんだね。

どうして人は「永遠」など存在しないものの言葉を作ったのだろう。実在に存在しないものの言葉を作るのは大変だったのではないか。

きっと「永遠」という言葉を作った人は「消えないもの、壊れないもの、終わらないもの、無条件に続くもの」が欲しかったのだろう。

きっと私とは真逆の人間だ。

無くなるものは無くなるし、 失うものは失う。 消えるものは消えるし、 去る人は去るのです。

永遠という言葉を作る人間になりたかった

それでも求める人も期待しない人も私はどちらも美しく思います。

テーブルの上の青いガラスグラスは雫を帯び、明日の空を映して

7月の雨は、もう既に降ることに飽きていそうで 諦めモードの雨って顔している。 そんななら降らなきゃいいのにって言いたくなるほどのやる気のない雨

こんなこと言って大雨という反発してきたら困るな

今夜は雨が降るらしい。傘を忘れずに

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言葉で傷ついた経験があるから 言葉で救えると信じる。

久々に人を抱きしめた。 優しく微笑む人は壊れてしまいそうで怖い

三者に言われた言葉にも「大丈夫です!」と答える姿を見て彼女と同い歳だった頃の自分を思い出した。

過ぎた私は18歳が脆い事を知っている。

18歳と19歳はかなりセンチメンタルになる年齢だと個人的に感じている。実際きっとそうだと思う。

大丈夫だと言う時に、大体の人は必ずと言っていいほど笑顔になる。あの瞬間がいちばん怖い。 そしてそれがどれだけ辛いかも知っている。

大丈夫じゃなかった時にひとりでたくさん泣いた人だと、そう思う。強くなる方法が笑顔しかないと思い込んでいる。

そして人は慣れてしまう。 咄嗟に出る対処法が笑顔なのだ。

大丈夫?と聞くのは良くないらしい。 大丈夫と答えるに決まっているからだ。

なので、「どうかした?」と聞くのが正解 そうするとまだ話しやすい。

ただ「大丈夫?」から始まる以外が見つからない場合もあるのだ。私は今日、その場面に立ち会った。

案の定彼女から帰ってきた言葉は「大丈夫です!」と相変わらずの愛嬌のある優しい笑顔。

そう返ってくるのは分かっていたから抱きしめることしか出来なかった。申し訳ない気持ちと共に、私が当時誰にでもいいからされたかった事だ。

ひとりで寂しくて辛くて前が見えなかった時、誰にでもいいから抱きしめられたかった。温かさと優しさに同時に触れてみたかった。優しさに甘えて許されたかった。

だから今回ばかりは私のお節介と自己中心的な行動ではあったが、気持ちいっぱい抱きしめた。

どうか居なくならないで欲しいと願った

人を守る事ってこんなにも難しいのかと。

私がして欲しかったことを全部してあげたい。 私が求めていたことが相手も求めているとは限らないが、もう要らないってくらい愛情をあげたい。

もう大丈夫だよ。幸せになれるよ。大丈夫じゃないと思った時があってもそれも大丈夫だよ。

壊れる程悲しいことがあった子を目一杯抱きしめても私じゃ過去も環境も変えてあげられないんだと痛感した。

それでも少しでも自分には味方はいるのだと、無条件に守ってくれる人がいるのだと知ってくれたら、ただそれだけで良いのだ

言葉と行動で示すことができる大人になりたい

常に助け決して傷つけ無い

例え傷ついても強く優しく香る人

貪欲な月曜に。

この真夏の帰宅ラッシュ時に札幌の中心を歩いた。 いつぶりだろうか

すれ違う人の目が貪欲だった

すすきのへ向かう若い女の子達も、振り返り声をかけ惨敗する男も、大人数で広がり歩く大学生達も、コンビニで買ったアイスを食べながら歩く女子校生も、月曜だと言うのに飲みに向かうサラリーマンとOLも。

貪欲で、元気でちゃんと、私よりもずっと。夏を大切に握りしめていた。

私はと言うと珈琲豆を買いにほんの少しの距離を歩いていただけなのだが、そんな私にも今回は珈琲豆欲があり足を進めていたのだと思うと恥ずかしくなる。

正直夏なんてどうでもいいのだ。

そして私にとって、何かを手に入れるために恥を晒すことほど照れることは無いのだ。夏を握りしめ歩く欲望まみれの人々は私は好きではない。

今回の珈琲豆はほんの少しだけ歩いただけなのでノーカンして欲しいのだが、日常の中で私は恥を晒してまで欲しいものなど未だ出会った事がない。

それ程欲がない人間なのである。なんて寂しい。

例えば学校へ行こうよで屋上から告白する者

あんなのとんでもない度胸の持ち主だ。 きっと前世でアンパンマンに愛と勇気と希望を直接受け継がされた者だと思う。とんでもない。

それから好きな俳優に合う為にテレビに依頼を送る者

彼らもなかなかの度胸を持っている。 私だったらそんなこと出来ない。お金を払ってでも這いつくばってでも写真集お渡し会に顔を出し30秒目を見て応援していますと伝えられれば満足なのだ。むしろそれが良い。

ちなみに引退する先輩や職場を去る人に寄せ書きを集める人間も得意ではない。できる限り関係を築かないように過ごしていきたいと思う。 身勝手な人だと思うからだ。

こんな私も寄せ書きを貰ったことがあるが、微量の感謝と同時に恥ずかしさと申し訳なさとあまりの内容の薄さとみんなコピペだと気付いた時には泣けてくるからだ。稀にほとんど話したことないのにも関わらず、めちゃくちゃ文を書いてくれる人がいたがきっとこの人は文を綴るのが好きなんだろう、とだけ感じる。よーくみたら内容は一緒だった。

寄せ書きを集める人間は人望が欲しいだけである。

そう考えると世の中には貪欲な人間が結構な数でいるのかもしれない。恐ろしい。恐ろしいにも程がある。

そんな中こんな事しか考えず歩く私の存在がどれだけ脆く面白くないか。熱量だとどこにも無いため中身はすっからかんで、全てを隠すように眼鏡とマスクで顔面を覆い黒武装で歩く私の透明人間度はこの世界で結構上位ではあると思う。

目立ちたいと思うことは無い。恥ずかしいので。

そんなことを考えながら電車を待っている。 私の前に立つ学生のスマホの画面がうるさい

彼が映し出すTikTokは私には全て広告のようだ。 目を逸らすと電車到着した。早く帰らせて欲しい。

今日はプリンアイスを買って帰るのだ。 プリンアイスに思いを馳せ自転車を漕ぐ私を想像して見てほしい。やはり欲を人間は恥ずかしいものである。

私にとっての欲は食だと気づいた7月の初め。 まずアイス売ってるかな

青が溶けた時

「溶ける」

最近好きな表現だ。

「言葉に溶ける」や「溶けるように眠る」 可愛い表現だと思う。とても好き。

そんなことを考えながら歩く。 突然の女性の叫び声に振り返ると噴水から女性が起き上がるのが見えた。2度見した。 まさか人生で噴水に落ちる人を見れるだなんて。

友人に肩を借り、ポタポタと水を垂らしながら立ち上がる女性はあまり恥ずかしそうにもしていなかった。

なんか、普段見れないもの見たなと。得も損もしなかったけれど、まあ良いもの見たのかもと歪んだ性格の私はこの足で海へ向かった。

着いた先は青かった。とても青く綺麗だった。

青が溶けたような海が私の前に広がっていた。

最期の場所を選べるのであれば、海が見えるところがいいと考えたことがある。

いまは思う。死ぬなら海じゃなくていい。

こんなものが目の前にあれば幸せを諦める事が難しいだろうな

私の場合、綺麗なものを知る度幸せになりたいと感じている気がする。それが花や音や人であっても同じで。

私が綺麗だと感じるもの全てに価値があるので

次はどんな綺麗なものを見に行こう。

23歳になり1ヶ月近く経った今感じる。 もう私はひとりでどこへでも行けるのだと

大人になるとは行きたい場所へ行ける事。

今日はもう溶けるように眠る。 金曜を乗り切るために

6月の夜、文字に沈む。

春でも夏でもない6月の初め

又は、春でも夏でもある現在に。

聴き心地の良い音楽と帰る夜

1年の中でいまが一番好きかもしれない。 と言うのを1年の中で何度も口にしている気がする

季節はあまりにも上手く出来すぎているので

夜が暖かくなると夜道への怖さや警戒心が緩むのは何故だろう。私だけかもしれないけれど

時々このままどこかの知らない誰かに連れていかれないかなと思うことがある。寧ろ願う事もある。 そんなことあってはいけないのだけれど。

ただ、もしそれが明日を連れてこない人だといいなと。夜を長く出来る人。欲しいものをくれる人。暴言を吐かない人。

誰も真似出来ない言葉で語れる人に出会いたい。 それを理解できる人になりたい、理解しようとする姿を見守ってくれる人が良い。

ここまで書いてソファで寝落ちしてしまった…

もうお昼なので夜に感じた事は忘れたし おやすみなさい